ヨコハマアパートメント感想、とりあえず

4月18日の建築系ラジオ公開収録ではありがとうございました。
当日の模様をホームページにも記録していただき、さらに感謝です。


あの日の議論も、ヨコハマアパートメントの空間も、まだ私の中では整理し切れていない気がするのですが
(メンバーも含めて豪華すぎた。初日に一気に情報を与えられた新ゼミ生のような気分w)、
これから、を考える上で看過できないものとは気づいています。


twitterは「クラスタ」を越えて、弱い紐帯で出会う可能性を拡大してくれました。
しかし、(twitterのオフ会というのではなく)いきなり現実でそれができるかというと、やはり難しい。
その上でガードを下ろした言葉が交わせるかというと、さらに難しい。
でも、建築は、その可能性を開く。ガードを下ろさせることも含めて。
twitterと同じように巧妙に、利益を求めて動き、承認されたがりの人間という物をクールに観察し、あたたかく包み込む空間構成があれば、でしょうが。


ヨコハマアパートメントで一番に思い出したのは、U研究室の《大学セミナーハウス》でした。
下見板張りで、中央に広間があり、内外が反転したような成り立ち、
ビニールで内外を仕切って「このほうが使い倒せるよ」と告げる割り切りが、単純にその長期館(1970)を思わせたこともあるのですが、
それ以上に連想したのは、長期館の持つ、それまでに建った大学セミナーハウスの建物(本館やユニットハウス)との断絶的な継承関係でした。
形は異なる一方で、空間構成の性格が連続している。
たぶん、スピリットが共通しているのでしょう。
ヨコハマアパートメントも、現在的でありながら、そのようなものと捉えています。


倉方俊輔/建築史家、西日本工業大学准教授
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