14日目(8月22日)

みなさま、こんにちは。

私事ですが、
今日は、うちの両親がアパを見たいとのことで、
午後、崎陽軒のお弁当をもってきました。

さすがに風が通るアパでも、今日はあついから、エアコンの入っている2階で食べた方がいいんじゃないかと進めましたが、
「いや、1人なら2階でもいいけど、3人なら1階で食べた方がいいでしょ、この建物は。」と、
一切建築系の仕事なんかしたことない父&専業主婦の母が瞬時に建物コンセプトを見破ったかのように言うので、1階で食べました。
まさに、夏のピクニック気分です。

昨日、ロコさんのワークショップの際に、家具などの備品があると邪魔になる+汚れたら困るとのことで、
踊り場下にある1階収納庫に収納していましたので、
両親がきたときは、ほぼ何もなくがらんとした状態だったのですが、
食事している間に、えっさえっさと収納庫から引っぱりだして、現状復旧していたら、
どんどんと生活感が充満してきて、
「お前、ほんとにここで住んでるんだな」と言われました。

家具が何もないと、この建物は、何のためにつくられたのか非常に読み取りにくいです。
よく言えば、何にでもつかえるということになりますが、
何にでもつかえます、だけでは意味がないのと同じで、
何にでもつかえます、たとえば◎◎です。
といえることが重要なのだと、思います。
その◎◎が、
たとえばヨガ教室であり、たとえばTシャツワークショップであり、
たとえば料理をしたりする日常生活であり、たとえばアーティストの製作展示活動だったりという、
具体例があり、しかも実践されていること、日常も非日常も同列に扱われることに
この建物の意義があります。
そして、そのような1階の状況と常に平行して、
2階では最小限ではあるものの、いわゆるふっつーの超日常生活ができることに、
この建物を全体として考えた時のもっと大きな意義があります。

少年ジャンプ、たくさんあるので遊びにきて下さい。

おんでざいん なかがわ