広場をもつ生活

みなさま、こんにちは。


本日は、世の中がお正月意識を引きずっている最中、
もうすぐ卒業設計提出(間近)の関東学院大学の学生達が、
卒業研究のチューターである小形さん(プロスペクトコッテージ)に
連れられ、アパにやってきました。(気晴らしと言っておりましたが、
本当に大丈夫かは、、、不明です。僕は今年から大学教員を
辞めているので、大学カレンダーに若干疎いです。。。すいません。)


彼らのうち、アパに近い形式(大きな共有部をシェアし、そこが外部と繋がる)
学生寮の提案を作っている学生がおり、その提案を考える際のひとつの
プロトタイプとして実践を見たいというのが、このギリギリの時期での
来訪につながったらしいです。(彼らの卒計の状況は公開されてます、http://ogtstudio.exblog.jp/


皆で一通り見学後、意見交換をはじめると、あっと言う間に、
1時間半程経過しました。(学生方の感想もお待ちしてます。。)
その中で小形さんが、「自分がイギリスに住んでいたとき、
5人で家をシェアしていたが、そのときの共有居間と比べても、
より外が近く、ここはまるで、庭にいるようだ。」と言われました。


ガーデンカルチャーが、日本より重要視されているイギリスの生活と比較され、
庭と例えられるのは大変光栄です。(たしかにイギリスのティーガーデンと同じで
気候の良い時期に積極的に使用し、雨の日や風の日や寒い日には人の気配がないです。)


そこまでイギリスを知らない僕でさえ、庭でアフタヌーンティーを飲むイメージが
英国スタイルにはあるので、彼らにしてみると庭と生活が切っても切り離せないもの
なのだと思います。それはアパの広場にも通じます。ここに住んでみて判ったことですが、
アパの広場と自分とのコミュニケーションは、必ずしも常にある必要は無く、
季節や気分や必要に応じ、欲しいときにいつでも自分の場所として、
”そこにある”ことが、大切なのだと感じます。


ついつい設計側にいると、計画した空間は常に使われている状態であって欲しいと
いう欲求(錯覚)にかられがちですが、場所を庭や広場として意味付けることは、
場所の時間的空白を包容し、その上で評価する価値感覚を持ち得ると思います。


卒業研究の参考になったかどうかは判りませんが、
また是非いらしてくださいね。


オンデザイン
ニシダ